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東京地方裁判所 昭和59年(ワ)10288号 判決

原告

対馬春繁

右訴訟代理人弁護士

鈴木克昌

飯田幸光

被告

永田清

被告

有限会社スペースリブ

右代表者代表取締役

永田清

右二名訴訟代理人弁護士

江口英彦

主文

一  被告永田清は、原告に対し、別紙物件目録二記載の建物を明渡し、かつ、昭和六一年五月一日から明渡ずみまで一か月金五万五〇〇〇円の割合による金員を支払え。

二  被告有限会社スペースリブは、原告に対し、別紙物件目録一記載の建物を明渡し、かつ、昭和六一年五月一日から明渡ずみまで一か月金一三万円の割合による金員を支払え。

三  訴訟費用は被告らの負担とする。

四  この判決は仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文同旨。但し、訴訟費用は被告らの連帯負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、別紙物件目録一記載の建物(以下「本件店舗」という。)の所有者であるが、被告有限会社スペースリブ(以下「被告会社」という。)に対し、昭和五七年一一月六日、本件店舗を次の約定で賃貸し、昭和五八年一月三一日これを引き渡した。

期間 昭和五八年一月二〇日から昭和六〇年一月一九日までの二年間

賃料 一か月金一三万円

敷金 金一〇〇〇万円

特約 営業目的は不動産仲介業とするが、店内での花と化粧品等の販売は認める。第三者への賃借権譲渡又は転貸は厳禁する。借主が本契約条項に違反した場合は貸主は催告なく解除することができる。

2  次いで原告は、その所有にかかる別紙物件目録二記載の建物(以下「本件事務所」という。)を、被告永田に対し、昭和五八年五月二〇日、次の約定で賃貸し、これを引き渡した。

期間 昭和五八年五月二〇日から昭和六〇年五月一九日までの二年間

賃料 一か月金五万五〇〇〇円

3  被告永田は、被告会社の代表者として訴外センチュリー・リーシングシステム株式会社(以下、「訴外センチュリー」という。)との間で、昭和五八年五月三一日複写機とファクシミリ・パナファックスのリース契約を締結したが、その際、訴外センチュリーから、リース料の担保として本件店舗賃貸借契約における敷金一〇〇〇万円の返還請求権に質権を設定することを要求され、原告に無断で質権設定承諾書に原告の住所・氏名を記載したうえ、原告名義の印鑑を偽造してこれを冒捺し、もつて原告名義の質権設定承諾書を偽造して、訴外センチュリーに交付した。

被告会社及び被告永田の右行為は、原告との間の各賃貸借契約における信頼関係を著しく破壊する背信行為である。

4  被告会社は、本件店舗の一部(三平方メートル)を、昭和五八年二月一日訴外有限会社きりしま(以下「訴外きりしま」という。)に対して、転貸し、これを引き渡した。

訴外きりしまは、右本件店舗の一部を、同日訴外西村房江に対して再転貸し、これを引き渡した。

訴外西村房江は、昭和五九年六月末ころ前記本件店舗の一部から退去し、その後訴外きりしまも右店舗部分から退去して、現在被告会社が本件店舗全体を占有している。

5  右本件店舗賃貸借契約の敷金返還請求権に対する原告名義の質権設定承諾書の偽造及び本件店舗の一部の無断転貸は、被告会社との本件店舗賃貸借契約における賃借人の義務違反であり著しい背信行為に当たるものとして、被告会社に対する無催告解除の原因となる。

のみならず、右両行為が、本件事務所の賃借人であり被告会社の代表者としてその株式の八〇パーセントを保有して実質上被告会社を個人企業として運営している被告永田によつて行われたものであること、もともと本件事務所の賃借人名義が本件店舗のそれと異つているのは、当事者にとつてさして意味があるものではないことに鑑みると、右偽造行為及び無断転貸は、同時に被告永田との本件事務所賃貸借契約についても著しい背信行為があるものとして解除原因となるというべきであり、少なくとも、原告がその契約更新を拒絶するにつき正当事由があるというべきである。

6  そこで、原告は、被告会社に対しては昭和五九年二月二四日到達の内容証明郵便により、右被告会社の代表者である被告永田の私文書偽造という背信行為及び本件店舗の一部分の無断転貸を理由に本件店舗賃貸借契約を即時解除する旨の意思表示をし、被告永田に対しては同年七月二三日到達の内容証明郵便により、被告永田の右私文書偽造という背信行為を理由として本件事務所賃貸借契約を即時解除する旨及び予備的に右背信行為を正当事由として昭和六〇年五月一九日の本件事務所賃貸借契約期間満了に際しての更新拒絶の意思表示をした。

7  よつて、原告は、被告会社に対しては昭和五九年二月二四日の契約解除による本件店舗賃貸借契約の終了に基づき、本件店舗の明渡しと昭和六一年五月一日から右明渡しずみまで一か月金一三万円の割合による賃料相当損害金の支払いを求め、被告永田に対しては昭和五九年七月二三日の契約解除又は予備的に昭和六〇年五月一九日の期間満了による本件事務所賃貸借契約の終了に基づき、本件事務所の明渡しと昭和六一年五月一日から明渡しずみまで一か月金五万五〇〇〇円の割合による賃料相当損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1及び2のうち、1の無催告解除の特約については争い、その余の事実は認める。

2  同3の事実のうち、被告会社の代表者である被告永田が原告名義の印鑑を使用して、本件店舗賃貸借契約における敷金一〇〇〇万円の返還請求権につき訴外センチュリーに対する原告名義の質権設定承諾書を作成し、これを訴外センチュリーに交付したことは認め、その余は否認する。

3  同4の事実のうち、本件店舗の一部において、被告会社が、訴外きりしまの紹介で訴外西村房江をして生花の販売をさせた時期があつたこと、及び現在は本件店舗全体を被告会社が占有使用していることは認め、その余は否認する。

被告会社は、特約に基づき生花販売を始めるに際し、訴外きりしまとの間において委託販売契約を締結し営業していたが、販売に当たつていた被告永田の妻が妊娠して販売が出来なくなつたため、同社に依頼して一時的に訴外西村房江を販売員として派遣してもらつたにすぎず(同年六月までは右西村と妻とが協同して販売していた。)、本件店舗を一部転貸した事実はない。

4  同5は争う。

5  同6の事実は、認める。

三  抗弁

1  質権設定承諾書について

(一) 敷金返還請求権の譲渡・質入は、債権者(賃借人)と譲受人(質権者)との契約により成立し、債務者(賃貸人)の意思に係わりなく質入ができるものであり、他方賃貸人は敷金から優先的に遅滞賃料等へ充当した残金を返還すれば足りるから、質入れ自体は賃貸人に損害を及ぼすものではなく、本来賃貸人の承諾を要するものではない。

(二) 被告会社は、昭和五八年一月三一日訴外和田重雄から本件店舗賃貸借契約の敷金一〇〇〇万円の資金として金八〇〇万円を借り入れるに際し、原告に対し金一〇〇万円の承諾料を支払い、本件敷金返還請求権を担保に差し入れることについて包括的に承諾を得た。

(三) 被告会社は、その後昭和五八年四月二七日訴外有限会社フジリース(以下「フジリース」という。)から金七〇〇万円を借入れるに際し、本件敷金返還請求権の質入先を右フジリースに変更したが、これについては原告は異議なく同意した。

(四) 被告会社の代表者被告永田は、昭和五八年五月一三日右質入先を再び訴外センチュリーへ変更するため訴外きりしま振出の小切手(額面七三五万円、支払期日同年一〇月二六日)をフジリースに担保として提供し、右質権設定を解いた。フジリースの担保が抜けたため、新たに右敷金返還請求権を原告の承諾を得てから訴外センチュリーに担保として提供し質権を設定しようとしたが、同社に対する契約日が同年五月三一日に迫つており、この間原告と会つて事情を説明し承諾を得る暇がなく、かつ同社から「三文判でもよい」と言われたこともあり、単なる差替であるから原告から拒絶されることはないとの安易な気持から原告名義の三文判を使用してしまつたものであり、事後に原告の承諾が得られると考えていたところ、フジリースとの質権設定の期限である昭和五八年一〇月二七日を迎え、同日原告に対し質権設定の期限を延長することにつき承諾を求めたものである。

2  生花販売について

(一) 被告会社には、無断転貸の事実はないが、仮に転貸の事実があるとしても、本件店舗の一部(約二三パーセント、一階店舗と四階事務所の一一・四パーセント)にすぎず、その期間も約一年にすぎない。

(二) 原告は、被告会社がきりしまフラワーチェーン店として営業することを事前に承諾していたのであり、「きりしま」の看板についても何ら異議を述べていなかつたから、仮に転貸に当たるとしても暗黙の承諾があつたともいえる程度のものである。

(三) 本件訴訟は、被告会社らが本件店舗で不動産業者として実績を築き上げて来たことから、宅建業者の免許を有する原告の息子に不動産業を営ませようとして、種々口実を設けて被告を追い出そうとする原告の利己的動機に基づくものである。

3  以上の事実によれば、本件には被告らの一方的背信行為による信頼関係の破壊に当たらないとすべき特段の事情が存する。

四  抗弁に対する認否

1(一)  抗弁1(一)については、争う。

一般に金融業者が融資にあたり敷金返還請求権に質権を設定する場合、賃貸人の承諾を要求するのが通例であり、賃貸人の承諾は質権設定の重要な要素である。それは、質権設定に必要な対抗要件を具備させ、後に質権を実行する際に賃貸人から予期しない抗弁が出される場合に異議を留めない承諾を得ておくことにより権利の安全を確保するためである。

また、原告は被告会社の質権設定により、昭和五九年一月一〇日ころ訴外センチュリーから支払の請求を受け、右請求が偽造承諾書による質権設定に基づくものであることを判明させるために大きな負担と苦痛を強いられた。しかも、被告会社は、本件敷金返還請求権をフジリースと訴外センチュリーとに対して二重に質権を設定したのであり、原告は二重払いの危険を現実に負担させられた。

(二)  抗弁1(二)のうち、被告会社が昭和五八年一月三一日訴外和田重雄から本件敷金一〇〇〇万円の資金として金八〇〇万円を借り入れたこと、その際本件敷金返還請求権(但し、原告の取得する償却分二〇〇万円を除く八〇〇万円)を担保に差し入れ、これについて原告が承諾したこと、及び原告が被告会社から敷金とは別に金一〇〇万円を受領したことは認め、その余の事実は否認する。

右金一〇〇万円は、被告会社の敷金残金八〇〇万円(二〇〇万円は手付として受領ずみ)の支払いが約定の期限までにできなかつたため、本件店舗賃貸借契約が解除されることをおそれた被告会社が契約継続のために自発的に支払つた金員であつて、敷金の担保差入れの承諾料ではない。

(三)  抗弁1(三)の事実は、認める。

(四)  抗弁1(四)のうち「フジリースの担保が抜けた」との点は否認し、その余の事実は不知。実際には、フジリースに対する質権設定も解かれないまま訴外センチュリーに二重質入されたとみられ、原告は二重払いの危険にさらされた。

2  抗弁2(一)ないし(三)のうち、転貸部分が本件店舗の一部(約二三パーセント)であることは認め、その余はすべて否認し、又は争う。

3  抗弁3の主張は争う。

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求原因1の被告会社との本件店舗賃貸借契約の成立については、無催告解除の特約の点を除き当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、本件店舗賃貸借契約においては、「借主が本契約条項に違反した場合、貸主は何らの催告もなく本契約を解除し、借主は即時この店舗を明渡さなければならない」旨の特約が存したことが認められる。

請求原因2の被告永田との本件事務所賃貸借契約の成立、及び同6の解除又は解約の申入れの事実はいずれも当事者間に争いがない。

二そこで、請求原因3の質権設定承諾書偽造の点について判断する。

1  被告会社の代表者である被告永田が、原告名義の印章を利用して、本件店舗賃貸借契約における敷金一〇〇〇万円の返還請求権を訴外センチュリーに質権設定するにつき原告名義の質権設定承諾書を作成してこれを訴外センチュリーに交付したことは、当事者間に争いがなく、この事実と、〈証拠〉によれば、被告永田は、昭和五八年五月三一日、被告会社が訴外センチュリーとコンピューター機器のリース契約(リース期間五年、リース料合計一一三一万円余)を締結した際、右リース契約上被告会社が訴外センチュリーに負担する債務を担保するため、被告会社の原告に対する金一〇〇〇万円の本件敷金全額の返還請求権(なお、本件店舗賃貸借契約においては、契約解除の際は原告が右敷金中二〇〇万円を償却費として取得する旨の特約があつた。)について訴外センチュリーのため質権を設定したが、同社から賃貸人たる原告の承諾書をとるよう求められるや、原告に無断で、質権設定承諾書(甲第七号証)に原告の字体を真似て署名をし、有合せの「対馬」名の印章を押捺して原告名義の右質権設定承諾書を偽造してそのころこれを訴外センチュリーに差し入れたこと、被告会社は、その後同年六月二四日に訴外センチュリーと複写機等の追加リース契約(リース期間五年、リース料合計四一九万円)を結んだことがそれぞれ認められ、この認定に反する証拠はない。

2  また、〈証拠〉によれば、次の事実が認められる。

(一)  本件店舗賃貸借契約の敷金一〇〇〇万円については、昭和五七年一一月六日の契約締結時に手付金及び内金の趣旨で金一〇〇万円、同年一二月六日に中間金として金一〇〇万円、昭和五八年一月二〇日に残金八〇〇万円を支払う約定であつたが、被告会社は契約時に一〇〇万円と昭和五七年一二月末ころに中間金一〇〇万円を支払つたものの、一月二〇日に支払うべき残金八〇〇万円が調達できなかつたため、原告としては、手付金の一〇〇万円又は受領ずみの計二〇〇万円を没収して契約を解除することを考えたが、被告永田から、早急に訴外和田重雄から借り入れて敷金残金を支払い、これと別に金一〇〇万円を支払うので契約を存続させてほしい旨、及び右和田に対し本件敷金返還請求権を担保に差し入れたいので原告に承諾してほしい旨を要請された。原告はこれを承諾したので、被告永田は、昭和五八年一月三一日訴外和田から個人名義で金八〇〇万円を借り入れて原告に敷金残金八〇〇万円を支払うとともに、被告会社振出の小切手により別途原告に一〇〇万円を支払い(原告の承諾以外の事実は、当事者間に争いがない。)、原告は、和田に対する被告永田の借用証の連帯保証人欄に、本件敷金返還請求権の担保差入れを承諾する趣旨で署名押印した。

(二)  その後被告永田は、訴外和田に対する右借入金の返済のため、昭和五八年四月二七日フジリースから七〇〇万円を、返済期日同年一〇月二六日として被告会社名義で借り受けたが、その際、担保として本件敷金返還請求権をフジリースに債権譲渡し、右返済期日に被告会社が返済しなかつたときは債権譲渡の効力が発生するものとし、その場合被告会社は直ちに本件店舗を退去する旨の債権譲渡契約を結び、原告は、被告永田に求められて右債権譲渡を承諾した。

(三)  被告永田は、フジリースに対し、右借入れ当時被告会社振出の約束手形を差し入れていたが、約一か月後に支払期日を同年末ころとする訴外きりしまの小切手と差し換えた。しかし、右小切手の決済が末了で、フジリースに対する本件敷金返還請求権の債権譲渡契約の効力が存続していた同年五月三一日に、前記1で認定のとおり原告の承諾を得ることなく、訴外センチュリーに対しても本件敷金返還請求権を二重に担保に差し入れて原告の承諾書を偽造し、かつ、フジリースとの当初約定の返済期日(これは、原告の承諾期限をも意味する)である同年一〇月二六日が経過するや、翌二七日原告に対し、訴外センチュリーへの質権設定及び原告の承諾書偽造の事実を依然として秘したまま、フジリースに対する返済期限(債権譲渡の有効期間)を同年一二月二七日まで二か月間延長することにつき原告の同意を求めるメモを書いて本件店舗と同じビル内の原告の事務所に差し置いた。これに気付いた原告は、同月二八日フジリース及び被告会社に対し、フジリースに対する前記債権譲渡の承諾を解除する旨の内容証明郵便を発送した。

(四)  原告は、昭和五九年一月一〇日ころ、訴外センチュリーから、被告会社がリース料の支払いを怠つているので、質権設定承諾者たる原告において被告会社の債務を支払つてもらいたいとの連絡を受けたことから訴外センチュリーと種々折衝、確認をし、警察にも相談するなどして被告永田の承諾書偽造の事実を知り、被告永田に対し本件店舗及び事務所の明渡しを求めるに至つた。

以上のとおり認められる。証人森英男の証言及び被告永田の供述中、本件敷金とは別に小切手で原告に支払われた金一〇〇万円が専ら訴外和田に対する本件敷金返還請求権の担保差入れの承諾料であるとする部分、及び被告永田がフジリースから金借後、フジリースに対し訴外きりしま振出の小切手を差し換え交付した際、原告の債権譲渡承諾書の返却を受けてこれをそのころ破棄した旨の被告永田の供述部分は信用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

3  ところで、建物賃貸借契約における敷金返還請求権につき、賃借人が質権設定又は条件付債権譲渡等の方法によりこれを担保として利用するについては、賃貸人の承諾がなくても債権者との間で質権設定契約等を締結できることはいうまでもないが、敷金返還請求権者たる賃借人から賃貸人に対する質権設定等の通知、又は賃貸人の賃借人又は質権者等に対する承諾という対抗要件を具備しない限り、質権者等は敷金返還請求権に対する自己の権利を確実なものとすることはできない。他方、賃貸人側から見れば、敷金は、当該賃貸借契約上の賃料支払債務等の履行を担保する目的で賃借人から取得するものであるから、敷金に対する権利主張がなされてその担保機能を損う可能性をもつ敷金返還請求権の第三者への担保差入れは、それ自体歓迎すべきことではないのみならず、担保差入れの事実について単に賃借人から通知を受けるにとどまるか、あるいは自ら異議なき承諾をするかは、将来その担保権者に対する抗弁権の成否、賃貸人としての敷金の機能確保の点で重大な利害関係を有するといわなければならない。したがつて、賃借人が敷金返還請求権を他に担保に供するについては、いやしくも賃貸人に無断でその対抗要件を具備するなどして敷金の担保価値を毀損するなどの行為を避けるべきことが、当該賃貸借契約において当然に要求される信義則上の義務であると解せられる。

本件においては、前記1、2認定事実から見れば、もともと被告会社が原告に支払うべき敷金をその返還請求権を担保に入れてまで他から借り入れざるを得ず、そのフジリースからの借り換えについても同じく債権譲渡の方法で担保提供せざるを得なかつたのであり、原告としては被告会社又は被告永田の資力に不安を抱いたことは推認に難くなく、だからこそ被告永田も原告の承諾を求め、原告も特に二度目のフジリースに対する承諾についてはその承諾期限(フジリースに対する被告会社の返済期限)につき明確に意識して、期限経過後直ちに承諾を断る通知を発しているのであるから、このような事実経過に照らしても、被告永田が被告会社のために原告に無断で本件敷金返還請求権につき訴外センチュリーと質権設定契約を結び、原告名義の承諾書を偽造した行為は、本件店舗賃貸借契約における信義則上の義務に違反したものというべきである。

三次に、請求原因4の無断転貸の点について判断する。

1  〈証拠〉によれば、次の事実が認められる。

(一)  本件店舗賃貸借契約においては、被告会社が本件店舗において不動産業のほか花と化粧品等の販売を行うことが特約事項として認められていた。

(二)  被告永田は、友人の武和功が代表者として「きりしまフラワーチェーン」の名で生花販売等を業とする訴外きりしまとの間で、本件店舗の使用が可能となつた昭和五八年二月一日付けで、被告会社が本件店舗の一部約三平方メートルの部分において行う生花等の販売業務を訴外きりしまに委託し、訴外きりしまは被告会社の販売を補助するため訴外きりしまの使用人を派遣し、売上金は訴外きりしまにおいて管理した上、利益金のうち被告会社が三〇パーセント(但し最低保証月額五万円)、訴外きりしまが七〇パーセントとする委託販売契約を結んだ。

(三)  他方、訴外西村房江は、「きりしまフラワーチェーン」のチェーン店として生花販売をするため、昭和五七年一〇月二六日ころ訴外きりしまとの間で、契約金五〇万円、店舗保証金一五〇万円、備品(花用冷蔵庫等)代四五万円を支払つて販売契約を結んだが、当初予定した西麻布の店舗に入店できなくなり、それに代えて、同年一一月ころ訴外きりしまから本件店舗を紹介され、右契約金等を流用し、訴外きりしまに店舗家賃として毎月五万円を支払い、生花は訴外きりしまから仕入れる等の約定で、被告会社が原告に敷金残金を支払つて本件店舗を使用できるようになつた昭和五八年二月一日から、本件店舗の一部約三平方メートルにおいて生花販売を開始した。西村房江は、生花を訴外きりしまから仕入れ、その代金を一〇日に一回程度、本件店舗の家賃を一か月に一回訴外きりしまに支払うほかは、一人で生花販売に当たり、その売上金も自ら管理、収益していた(もつとも、昭和五八年六月ころ同女が病気で一か月ほど休んだ時は、同女の費用負担で訴外きりしまから代替従業員が一人派遣された。)。右の家賃月額五万円は、当初三か月ほどは「生花販売協力料」の名目で西村房江から直接被告会社あて支払われたが、被告会社が本件店舗の不動産業部門の内装工事と西村の行う生花販売部分の仕切り工事をし、店外に生花販売の「きりしま」の表示が出された後、昭和五八年五月分からは西村房江から訴外きりしまに毎月の家賃として金五万円ずつが支払われ、訴外きりしまから被告会社に毎月同額の五万円が支払われていた。しかし、被告会社と訴外きりしまとの前記委託販売契約の約定にかかわらず、被告会社は何ら生花販売営業に関与せず、訴外きりしまから被告会社に定期に支払われたのは毎月五万円のみであり、他には、訴外きりしまと被告会社の年末の数人ずつの合同忘年会の費用をすべて訴外きりしまが持つたという程度であつた。

(四)  原告は、本件店舗において昭和五八年五月ころから「きりしま」の表示のもとに生花販売が行われていることを知つていたが、それは被告会社が「きりしま」のチェーン店として営業しているものと考えていたところ、前記質権設定承諾書偽造の件が発覚し被告らに明渡しを求めるようになつてから偶然に訴外きりしまと西村房江との関係を知るに至つたものであつて、訴外きりしま又は西村房江が独自に本件店舗の一部を使用して営業することを容認していたわけではなかつた。

西村房江は、昭和五九年一月ころ訴外きりしまから本件店舗部分の家賃増額要求を受けたことなどから訴外きりしま及び被告永田との間で紛争が生じ、昭和五九年二月一三日訴外きりしまの手で本件店舗部分から閉め出され、それ以降本件店舗における生花販売は中止されて本件店舗はすべて被告会社が占有使用して現在に至つている(現在の本件店舗の使用状況については当事者間に争いがない。)。

以上のとおり認められる。〈証拠〉中、生花販売のための冷蔵庫等の諸費用を被告会社が負担したとの部分、本件店舗の使用開始当初、被告永田の妻が独力で又は西村房江とともに生花販売に当たつていたとの部分、訴外きりしまと西村房江との間で生花販売の利益配分の約定があるとの部分、及び西村房江から訴外きりしまに支払われた月額五万円の金員は家賃ではないとの部分は、いずれも、〈証拠〉に照らし、信用できない。

2  右認定事実によれば、本件店舗における生花販売の営業については、被告会社と訴外きりしまの委託販売契約なるものはその実体を備えておらず、被告会社は生花販売の内容については何ら関与せず、本件店舗の一部を訴外きりしまがそのチェーン店として使用することを認め、その場所使用の対価として月額五万円の支払いを受けるにすぎない関係であり、また訴外きりしまと西村房江の関係も、「きりしまフラワーチェーン」としての契約関係のもとで、のれんの使用許諾、生花材料の供給代替従業員の派遣等の関係が付随していたにせよ、西村房江は訴外きりしまの従業員ではなく、営業開始後は訴外きりしまに生花代金と本件店舗の「家賃」を支払うほかは独立して自ら本件店舗の一部において営業していたのであるから、本件店舗の生花販売部分約三平方メートルの使用関係は、被告会社がこれを訴外きりしまに転貸し、訴外きりしまは更に西村房江に再転貸していたものと認めるのが相当であり、前記認定事実に照らせば前掲乙第一号証もこの認定の妨げとはならず、他にこの認定を覆すに足りる証拠はない。

四そこで、右質権設定承諾書の偽造及び本件店舗の一部の無断転貸について、本件店舗賃貸借契約の信頼関係を破壊するに至らない特段の事情があるか否かにつき判断する。

1  まず、被告らは、昭和五八年一月三一日に本件敷金とは別に金一〇〇万円を原告に支払つて、原告から本件敷金返還請求権の担保差入れにつき包括的に承諾を受けた旨主張するが、これを認めるに足りる的確な証拠はない(訴外和田重雄に対する担保差入れの承諾の対価の意味は一部にあつたにせよ、専らその趣旨で支払われたものとは認め難いことは、前記二の2で認定したとおりである。)。

また、被告らは、訴外センチュリーに対する質権設定の前に、フジリースに対して訴外きりしま振出の小切手を差し入れてフジリースへの担保設定を解消してあつた旨主張するが、これに副う被告永田本人の供述は措信できず、むしろ訴外センチュリーに対する質権設定の段階ではフジリースに対する条件付債権譲渡契約が存続しており、本件敷金返還請求権について二重の担保設定状態が生じていたことも前記二の2で認定したとおりである。

更に、被告らは、原告が本件店舗で息子に不動産業を営ませるため、種々口実を設けて被告らを追い出そうとしている旨主張し、証人森英男の証言及び被告永田本人の供述中にはこれに副う趣旨の部分が見られるが、原告本人の供述と対比して、これをもつて右主張事実を認めるには足りない。

2  前記二、三の認定事実及び右1の認定によれば、被告永田は、賃貸人たる原告に無断で、訴外センチュリーに対し、従前の訴外和田及びフジリースへの担保差入れよりもはるかに長期の五年間にわたり本件敷金返還請求権に質権を設定し、フジリースとの二重担保設定状態を現出させ、かつ、原告名義の質権設定承諾書を偽造して訴外センチュリーに交付することにより、原告が被告会社との敷金二〇〇万円の償却約定にもかかわらず金一〇〇〇万円全額についての質権設定につき異議なき承諾をした外形を作り、訴外センチュリーの将来の権利実行に対し原告の抗弁権の主張を事実上困難にさせる危険を招来し、現に原告は訴外センチュリーから被告会社のリース料不払につき対応を迫られ、訴外センチュリーとの折衝に労を割かざるを得なかつたというのであるから、原告がこれより前に訴外和田及びフジリースへの本件敷金返還請求権の担保差入れを承諾したことがあり、無断転貸については、訴外きりしまに対する本件店舗の無断転貸部分が約三平方メートル、賃借面積の約二三パーセント(この点は、当事者間に争いがない。)にすぎず、またその期間が約一年間で現在無断転貸状態は解消されているなどの事情を考慮しても、右質権設定承諾書偽造行為による本件店舗賃貸借契約上の義務違反及び無断転貸行為は、合わせて本件店舗賃貸借契約の存続を困難ならしめる著しい背信行為と認めるに十分であり、被告ら主張のように信頼関係を破壊するに至らない特段の事情があるとはいえない。

五ところで、原告は、前認定のとおり被告永田に対しても、右被告会社に対すると同じ解除理由により、本件事務所賃貸借契約解除の意思表示をしているので、その効力につき判断する。

1  〈証拠〉によれば、被告永田は、被告会社の株式の八〇パーセントを保有して(他は、友人と親戚が一〇パーセントずつ)不動産業を主目的とする被告会社の実質上の一人経営者であること、被告会社名義で契約した本件店舗賃貸借契約の敷金を訴外和田重雄から調達するについては、被告永田が借主となり被告会社がその連帯保証人となつたこと、本件事務所は、本件店舗を借受けた約半年後被告永田名義で借り受けたものであるが、右事務所は入口に「スペース・プラザ・データバンク」と表示され被告会社の事務用コンピューター等を設置して被告会社の営業のため利用されていること(従つて、被告永田としては、被告会社の本件店舗使用と独立して本件事務所を使用する必要性は少いものと推認される。)、原告は、本件店舗と本件事務所とで契約名義人が違つていることについて、前記偽造行為と無断転貸の事実が発覚するころまでほとんど意識していなかつたことが、それぞれ認められる。

2  右認定事実によれば、本件事務所は、被告会社の代表者であり実質上の一人経営者である被告永田により本件店舗と一体として被告会社の営業のために利用されており、被告会社に対する解除理由となつた敷金返還請求権に対する質権設定承諾書の偽造と本件店舗部分の無断転貸は、本件事務所の貸借人である被告永田によつて行われたものであるから、原告として被告会社に対する本件店舗賃貸借契約が解除に値するものである以上、被告永田との本件事務所賃貸借契約もその信頼関係が破壊され、これを存続させ難いとするのも無理からぬところである。

しかしながら、建物賃貸借契約においては、当事者間の信頼関係の喪失それ自体が解除原因となるのではなく、当事者の一方に債務不履行、特約又は契約上の義務違反があり、そのために信頼関係が破壊された場合にはじめて有効に解除できるものと解せられるところ、前認定の被告会社に対する解除事由は、被告永田との本件事務所賃貸借契約そのものに直接かかわる債務不履行又は義務違反となるとはいえず、前記偽造行為、無断転貸行為等が本件事務所の賃借人たる被告永田の人格ないし経済力を表わし、またこれにより原告が本件事務所賃貸借契約上の被告永田の債務の履行に危惧を抱くことがあるとしても、それが顕在化するに至つていない以上、本件店舗と本件事務所との利用上の一体性、被告会社と被告永田との人格的一体性を考慮しても、いまだ被告永田について本件事務所賃貸借契約上の信義則上の義務を含む何らかの義務違反があるということはできない。

したがつて、本件店舗賃貸借契約にかかわる質権設定承諾書の偽造行為及び無断転貸を理由として、本件事務所賃貸借契約につき被告永田に対してした前記契約解除の意思表示は、その効力を生じないというべきである。

六しかしながら、原告は昭和五九年七月二三日に、解除の意思表示と同時に、昭和六〇年五月一九日に契約期間が満了する本件事務所賃貸借契約の更新拒絶の意思表示をしたものであるところ、本件事務所と本件店舗の利用上の一体性、被告永田の行為による本件店舗賃貸借契約上の背信性の大きさ、被告永田としては本件店舗明渡し後まで本件事務所を継続して賃借する必要性は乏しいと認められることなど前認定の事実に照らせば、原告には本件事務所賃貸借契約の更新を拒絶するにつき正当事由が存在するものと認めるのが相当であり、他にこの認定を覆すに足る証拠はない。

したがつて、被告永田に対する原告の更新拒絶の申入れは有効であり、本件事務所賃貸借契約は、昭和六〇年五月一九日の経過により終了したものと認められる。

七以上の次第で、被告会社は原告に対し、昭和五九年二月二四日の解除による契約終了により、別紙物件目録一記載の本件店舗を明渡し、かつ、昭和六一年五月一日以降右明渡しずみまで一か月金一三万円の割合による賃料相当損害金を支払う義務があり、被告永田は原告に対し、昭和六〇年五月一九日の期間満了による終了により、別紙物件目録二の本件事務所を明渡し、かつ、昭和六一年五月一日以降右明渡しずみまでの賃料相当損害金として、一か月金五万五〇〇〇円の割合による金員を支払うべき義務がある。

よつて、原告の本訴請求をすべて理由があるものとして認容することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官荒井史男)

別紙物件目録

(一棟の建物の表示)

所  在 港区南青山五丁目一九四番地

家屋番号 一九四番

種  類 店舗兼事務所

構  造 鉄筋コンクリート造陸屋根地下一階付五階建

(但し、登記簿上は、地下一階付五階建、現況は地下一階付六階建)

床面積 一階 一七・七四平方メートル

二階 一七・七四平方メートル

三階 一七・七四平方メートル

四階 一七・七四平方メートル

五階 一七・七四平方メートル

地下一階 一七・七四平方メートル

現況六階  六・七一平方メートル

一 前記建物のうち一階部分店舗の一部

面積 一三平方メートル

二 前記建物のうち四階部分の事務所

面積 一二・一平方メートル

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